11月26日早朝、ミャンマーの少数民族武装勢力である新モン州党訪問を終えて帰国。中3日おいて、少数民族武装勢力(カレン民族同盟)が活動するカレン州(ミャンマーではカイン州という)とカレニー民族進歩党が活動するカヤー州を訪問した。
カレン州パアンまでは、ミャンマーの首都ヤンゴンを朝6時に車で出発し、比較的良好な道路で約6時間程であった。この州では、政府と少数民族武装勢力との戦闘が60年以上にわたり続いていたが、近年、停戦が実施され、表面的には平穏である。しかし、いまだに政府側支配地域と少数民族武装勢力が支配する地域とに分かれている。
7月にネピドーでテイン・セイン大統領と会談した折、日本財団が保健省と組んで辺境地域に配布しているミャンマー製伝統医薬品の薬箱が好評なので、カレン州全村に配布してほしいとの要請を受けた。その要望に応え、薬箱の贈呈式がカレン州のU Zaw Min(ウー・ゾウ・ミン)州首相も参加して行われた。
また、辺境地域でのモバイルクリニックも、ミャンマー医師会、保健省、日本財団の三者合同プロジェクトとして、当面、カレン州2台、モン州2台で巡回緊急医療サービスを実験的に実施することになった。
長い戦闘が続いたため、少数民族武装勢力支配地域の地図、特に道路事情については、未舗装は当然としても、詳細は不明で、現時点では雨期に活動できるか否か不明である。しかし、モバイルクリニックがスタートしたことは地域住民にとっては何よりの朗報で、道路事情の確認作業をしながら経験を積み、一人でも多くの病める人々にアクセスできるようにとの関係者の熱意は高く、このモチベーションを維持できるよう協力するのが日本財団の役割であると心を新たにしたところである。
そして、曲がりなりにも短期間に巡回緊急医療サービスがスタートしたことは、日本の名前をさらに高めたものと思う。ミャンマーに多くの支援団体が入り何を支援すべきか模索中の中で、日本財団は昨年までに37事業、約2,000万ドルの支援を実施してきた。加えて2012年から始まった23事業、約1,200万ドルの人道的支援活動は、手前味噌ではあるが、海外からの支援活動としては突出しており、日本財団としてよりも日本の活動としてミャンマーの国民の信頼を広く受けていることは喜ばしいことである。
財団の担当役職員の熱意も強く、歓迎に慢心することなくあくまでも謙虚に、実施状況の評価と反省を加えながら更に充実した事業に発展させていきたいものである。
なお、ミャンマー伝統医薬品による薬箱は、病気になっても病院にアクセスすることが不可能な地域を中心に、既に7,000の村に配布。約140万人の人々がその恩恵を受けており、2014年3月までに28,000ヶ所の僻地の村に配布する計画である。
薬箱の原価は、咳止め、解熱剤各二種類、強心薬、目薬、下痢止め、鎮痛剤、体温計、ガーゼ、包帯、消毒用アルコール、絆創膏、薬剤使用説明書を含め、1箱1,000円。これだけあれば、今まで病気になっても放置されていた子供たちにとっての初期治療としては大いに有効で、西洋医薬品に比べ10分の1から20分の1の価格なので、村人も有料で購入することが可能で、継続性のあるシステムとして多くの発展途上国より注目をされているところだ。
パアンの大規模工業団地予定地に隣接する薬草栽培モデル農地にはU Zaw Min州首相自らが案内して下さり、日本の薬草の権威、お茶の水女子大学の佐竹元吉博士もその可能性を評価。州首相は私が出発した後、土・日曜にもかかわらず会議を招集し、日本財団の薬草栽培事業の展開に積極的に協力する姿勢を示されたと、担当者の間遠登志郎から報告を受けた。
貧農に付加価値の高い農作物を指導する日が間近に迫ってきたことは喜ばしいことで、ミャンマーでの消費のみならず、薬草不足に悩む日本への輸出の実現も視野に入れ、夢は大きく膨らんでいる。
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