タイよりミャンマー領に入り、国境近くの国内避難民キャンプと学校を視察。その後、モン族自由軍連隊基地を訪問した。
私たち一行警護のため、30名の兵士が各車輛の荷台に5名ずつ分乗。カラシニコフ機関銃やランチャー400を装備しており、銃弾を襷掛けしている兵士や手榴弾を胸に装着している兵士もいて緊迫した雰囲気の中での出発となった。
乾期に入ったとはいえ二日連続の雨で道路状況が悪いとの情報は受けていたが、アフリカ、インドその他の発展途上国で数々の悪路を走りぬいた経験を持つ私でも、かつてないほどの泥土と岩石の山道には心底驚かされた。
ここではトヨタのピックアップ以外通用しないとの説明に納得せざるを得ないほど車高は高く、チェーンを巻いた車輛は、雨のため中央に深く亀裂の入ったところを避けて走るが、それでも轍(わだち。車が通って道に残した輪の跡)は少なくとも30~40cmはあり、ある時は崖すれすれに、ある時は山側の岩に接触するように、運転手は懸命にハンドルを切る。日本の山道のように、例えば日光の「いろは坂」のような綴れ織りではなく、ほとんど直登に近く、下りも同様である。難所の通過では兵士が山を削り、轍に岩石を投げ入れて協力する。一か所の難所通過に30分近く要することもあった。
登りの難所ではチェーンと岩石との摩擦で煙や火花が散る中、車輛の後部に立っている兵士たちは懸命に腰を上下させて前輪がわずかでも浮くよう協力して岩場を乗り切るような場面を何十回となく経験した。日本では車輛を軽くするため運転手以外は降りて後方から押すのが普通であるが、兵士たちの動きは長い体験からの知恵なのかも知れない。
車道はジャングルといってもほとんど密生する竹林で、竹は倒れて道に覆い被さっており、いわば竹林のトンネルを行くがごときで、後部に立っている兵士は一瞬の油断も出来ない行軍であった。険しい山を降りると山間の谷川は清水で、車両は何十回と谷川を渡り、急な登り下りを何十回繰り返したことであろうか。途中、雨が降り出し、やがて豪雨となり、悪路は勢いよく泥水が流れる川と化した。
兵士は濡れ鼠となって懸命に道を開き、漆黒の闇の中に車のライトが光り、車輪は空転してエンジン音だけがむなしく闇をわたる。悪戦苦闘の結果目的地には到着できず、途中、教育大臣がおられる学校施設での宿泊となった。到着は22時30分であった。
現地の地図で確認すると、タイのサンカブリを出発して11時間のドライブ距離はたったの70kmであった。如何に難行苦行の行軍であったか、読者にも若干はご理解いただけたと思う。
木造の強制収容所のような部屋で、日本財団の森祐次と二人、顔に虫よけスプレーをかけて持参の寝袋に納まったのは午前0時過ぎであった。
(つづく)
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